病院にもマインドフルネスを!
一寸全身的に血が細菌に負けているみたいなので、人生初!本格的な入院をしています。
小さい時から家族が入れ替わり立ち替わり入院していたので、病床のある大きめの病院は懐かしの小学校の校舎のようでもあります。親族の看取りもしてきました。色々思い出されます。
さて、日頃私たちは自分の体だと思っていますが、病気になってみるとそうでもない事が分かります。
本当に自分の体であれば、病気なんてどないでもできるはずで、お医者さんに世話にならなくてもいいはず。
自分のモノのようで、自分のモノではない身体と生命。
また、何故死ぬのが恐いのか、「死ぬときには死ぬに任せて死ねばいい」とは世話になった禅の老師の言葉ですが、生死不二法門。生きているから死ぬのであって、生きてなければ死ぬことも無い。
日々生きながら死んでいる?
その老師の元、禅堂へ伺って参禅することもありましたが、最近は「坐禅会」をしてくれる有難い方がいて下さるので、また坐ることになったこともあり、早速病院でも「坐」することに。
使われていない、食堂・談話室を発見。聞けば「だれも使ってないので、どうぞ」という事なので「坐」しております。
何故病院で坐るのか。
恐らくですが、今私の体は悲鳴を上げています。自分で治ろうとしているはずです。それを邪魔するのは、未来を恐れたり、過去を持ちだして心配する「心」。
こいつをなんとかして、生きている「今」だけ実感すれば、体は自由になるはず。
私自身が私の体の邪魔をしているかもしれません。
お陰様で坐して、熱は下がり、血圧も下がり、近かった小便も収まり、排便もあり。それは医師や看護師さん、またその元で働く皆さんのお陰ではあります。
有難い事に症状は早晩回復傾向にあります。
病院で働く皆さんを見ていて、ほんの10分でいいので、二班に分かれるなどして毎日一回ほど真剣に「坐」をされたらいかがかな?とも思っています。
入院してみて病院で働く方々の、体と精神が崩れそうで心配しています。
病院にもマインドフルネスを!
補足:
勿論「坐」が目的であって、病気が治るとかはあくまでも副産物。
病気を治すための坐禅はありません。
「坐禅をしてもなんにもならん!」のが坐禅とのことですし。あしからず。
昨年の9月以降、全く仕事が出来なくなっていました。
でも周りには、今鬱になっている、過去に鬱になっていた方々が結構いらっしゃいました。なんか心強かった。
今でも躁鬱の繰り返し。頭の中は運動会。でも、だからこそ、だからこそ、見えたモノがありました。
私も含めて「オープンダイアローグな生き方を」目指すことが使命だと。
脚下照顧。私にしか出来ないやり方で出来ることに気がつきました。
啐啄同時。これは全ての方のお陰様です。
今までやってきたことが全て「対話」に結実したのです。
ということで、定年後世代の受け皿がない日本を迎えるにあたって、自分も新たなる社会人としてやるべき事が明晰になったことに喜びを感じている次第です。
幼くして学べば壮にて成し
壮にて学べば老いて衰えず
老いて学べば死して朽ちず
いつでも間に合います。さあ、本当の対話を始めましょう。

先日母校の前を通ったときにこんな会話が聞こえてきました。
先生?「ご苦労様でした!!!」
保護者「私誰か知ってはりますか?(知らんと声かけてるやろう...みたいな)」
先生?「ええ○○さんのお母さんですよね。引き継ぎで伺っております。」
保護者「知っててくれてはったらええんやけど....」
何があったのかは分かりませんが、この先生はこのお母さんの「何を知っている?」そしてこのお母さんはこの先生に「何を知られている?」のだろうかと思いました。
知っている < 知らない
知ってる振り < 知らない振り
例えばこの先生が「実はお名前だけは伺っておりますが、詳しくは存じ上げていません...」と話し始めて、直接本人と向き合えば「他人の情報とは」別に自分で何かを感じる事が出来るはずです。
あまりよく知らないのだけれども、良く存じてますと知っている振りをしてその場を繕う事やりがちです(>_<)
昔、ホテルでブライダルの仕事をさせて頂いていたときに、トラブルの多いお客様の情報だけ先に聞こえてきて「ややこしいいお客様なので気をつけてください」なんて言われスタッフが打ち合わせに伺ったら、そうでもないお客様で意気投合、仲良くなって注文も沢山頂いてなんてこと何回もありました。
知っているって「何を知っている」のでしょうか、「分かってる」って「何を分かっている」のでしょうか。
【Don't think ! Feel.】
母校を通り過ぎた際に、そんなことを思いました(^_^)v
写真館やってたとき、子供の撮影をしていると親御さんや付いてきたご家族の方が、お子さんに声をかけはります。
「ちゃんとせんと、おもちゃ買わへんで」とか「はよせんと、ご飯食べにいくんやろ」とか。
「写真屋のおっちゃん怒らはるで...」とかも・笑。
障害児をお持ちのご家庭の撮影をさせて頂いた事があります。
そのときにお子さんから気付き学びを得ました。
「指示してもダメ」
その代わりにお子さんとお話をしました。
「おばあちゃん好き?」(おばあちゃんに聞こえるように)
「うん」
「おばあちゃん探してみようか」
「・・・」
(キョロキョロする)
→(おばあちゃん見つける・おばあちゃんも見つける)
→(啐啄同時・シャッターを押す)
この方法で、しばらく障害児さんの撮影が続きました。(口コミですね)
これって障害の有無には全く関係ないと思います。
指示したら→思考停止。
それだけ。
写真屋のおっちゃんの問題ではありませんよ。お母さん。
上司・リーダー
経営者もおんなじ(*^_^*)