とある通販会社の会長様から、未来と将来の日本語の違いについて、教えて頂いたことがある。
「未来とは、放っておいても来てしまう。
将来は「招来」と書いて、自分で招くから来るもの。」
従業員さんや会社の「未来」を考えるのではなく、「将来」を考える。
放っておいても来るという気持ちではなく、自分で考えて動くことによって、自分の手で掴む人生。
よく問題提議とか、問題意識とか言われるが、どうも社会に出ると「問題」と言われると、避けて通りたいというか、出来れば関わりたくない。また出来れば隠しておきたい衝動に駆られるもの。
しかし、この問題と言う日本語、よく見てみると「題を問う」と読むことも出来る。
確かに子どもの算数の宿題を見ていて気づくのだが、「3+3」が問題で、「6」が答えである。つまり「3+3」は避けて通るとか、そういうマイナスなモノではないのである。
これが本当の意味での「問題」。大事なのは「3+3」ではなくて、
「3+3=6」と書けば正解で、「3+3=7」と書けば間違いであると言うこと。
問題とは「お題を問うこと」つまり、動詞的な、動的なものであって、そこに何か具合が悪いモノが、名詞的に静的に有るのではないことに気が付いた。
「映像でお客様を幸せにする」という私達のお題に、今自分達がしている仕事がブレがないか常に「問い続ける作業」これが、問題意識を持つことであり、その通りになっていないのならすぐに手を打つ必要が有る。ということになる。