昨日「人」と「人」との「あいだ」で「会話」をしているときに、
「外的会話」で「答えが一つ」的な「問い」が投げかけられました。
自分の心の状態を観察すると「ざわ付いている」のが感じられました。
そこで、内的対話(自分との会話)へ目を向けると、
●「間違えたら恥ずかしいな」
●「言い当てて褒めて貰いたい」等、
【答える方向】へ思考が動いて心が苦しくなっています。
社会では唯一の正解など無いと思っているのに、正解を強要されると心が平穏でなくなります。今この瞬間「幸せでない!」と内側では感じているんですね。
私の応答は「わからない」「教えてください」でした。
河合隼雄さんの本や、河合先生の事を書いた本に「分かりませんなあ」「むずかしいですなあ」とよく言われると書いてあるのを読んだことがあります。
【答えを考えない・出さない】というのは、自分の心をざわつかせない事にも繋がるのかなあと感じました。答えを出そうと心を使うより、相手の心を感じることの方が大切ですから、答えようとして、心をざわつかせ、平穏でなくしている自分はまだまだだなあという研究でした。
後、自分も答えを強要してきたなあと猛省しました。