思い返せば元々はいい加減な人生だった。
ミュージシャンになるはずが、
ある時、なれてないことに気づいた・笑。
で、じゃあ、カメラマンになろうと思うのだから、大人から見たら「馬鹿野郎」にも程がある。
しかし、三菱の印画紙「月光」を開発した先生にも巡り会えたし、何の利にもならないのに、写真を私に叩き込んでくれる恩師にも巡り会えた。コマーシャルスタジオへも潜り込めたし、写真作家さんの助手もできた。
その時に「京セラ創業者稲盛和夫社長」を撮る機会を得た。もう30年も前の事。今も撮影させて貰えているのは奇跡に近い。有難い。
その後、義理の父(老舗写真館経営)が拾ってくれてまともな人間にしてくれた。
デジタル一眼が360万円した時代に手にしていた。Macにも同時に出会うことになった。
まだまだフィルムの時代だったので、膨大な数のネガスキャンとフォトショVer2.5でのホコリ取りが必要になったので、大阪のデジハリにバイトの求人を出していた。
今は当たり前になった「デジタルアルバム」を出力・製本まで完全内製化していた。儲かった。
ITの技術者が大量に必要になる時代だったので、程なく京都にもデジハリができて、求人票を出しに行ったはずなのに、自分が入学願書を出して帰ってきてしまった。
それがIT/ネットとの出会いになった。
学校に入ったモノの残念ながらWebデザイナーも、Webプログラマーもモノにはならなかったが、当時「りんご」とかいう言語でCD-ROMコンテンツをブラダル向けに作れていた。他社では無かったと思う。売れた。儲かった。
それよりも有難い事は、ネットの住人との出会いがあった。
デジハリに来ていた「学生諸君=宇宙人」と当時「商工会」で「ITってなんや?」「ネットってなんや?」っていう商店主さん=原始人達をごっちゃにした「デジホリック」っていう交流会を作った。
今「ホームページ工場」というお仕事で、当社を採用してくれている「あの」村上肇氏がその交流会へ来てくれた。ご縁に感謝しかない。
しかし、私は「ネットの住人」にはならずに、創業明治二十年の経営=金儲けに専念した。
デジハリ京都校の曽和氏が、ヤフーのデジカメ講師の話を持ってきてくれた。それ以来「目から鱗のデジカメセミナー」講師として今でも続けられている。本当に感謝しかない。
さて、時は流れて、当時ネットの住人になった先達達は素晴らしい業績をたたき出されて垂涎の眼差し。
レジェンド!
私はと言えば義理の父の逝去と共に写真館とは袂を分かち「志」は高くとも今ひとつ「本当に何がしたいのか」分からない状態を「安定して」20年ほど続けていた。(所謂ブライダル屋さんで大繁盛・笑)
天の邪鬼!
人が既にしていることを辞めていくと、事業はどんどん危険な方へ突き進む。つまり商売になりにくい方向へ。
そして、昨年の暮れに恩師でもある「稲盛和夫」師の「革新的なイノベーションを起こすには」という魂レベルの話しをファインダー越しに聞いたときに「そっか!」と全身に染みわたった。
それでも実は道は拓けなかった。私には実践力がなかった。
所が「ガイアの夜明け」にも出ておられる富山の梶川さんに対して発した「突破口が欲しいのよね」という一言がきっかけで、zenschoolとのご縁を頂けた。そこから先はもう説明のしようが無い。書きようが無い。ジェットコースターに乗っているようなもの。
全てのリソースは既に手に入れていることに気がつくことになる。
ここまで時間が掛かりすぎ。普通に考えて人生はあと何年もない。気がついて行動に起こすなら若ければ若い方がいい。
でも遅いのも悪くはない。その時がバースデイ。
そう刹那。今しかない。「今すぐやれよ!」って、
昨日は大切なお取引先様との雑談の中で言って頂きました。
今日も「私が本当にやりたい」お世話・お節介で世の中を善くさせて頂きます(^_^)v
全ては「縁」だったんだ。
ご縁に感謝感謝です。
Goodnight!