「見る」複雑さと「生きる」こと
ヲバタは片目が見えないで「生を受けました」。
単眼視と、両眼立体視の謎が生きる底辺に有ったように思います。
どう違うのか?何が違うのか? 私には解りません。
しかし、脳科学の発達によって色んな事が解ってきました。私の疑問も解けつつあります。
モノを見るための「目」。それを情報として扱う「脳」
全ては自分の命を守るため。更に産まれる「美しい」という感覚。
これらの研究は、企業が社会貢献をする時に「暗黙知」になりがちな「本質」を見える化する際に必ず必要になります。なぜなら「生死」に関わっているからです。
必要のないものは「売れません」「買いません」。私達は常に豊かな人生を送りたいものです。今を生きている私達のプリミティブなテーマはいつも「生死」です。
この事を深く理解して、自分たちの商品・サービスの暗黙知の見える化をする事は大切な事だと思います。なかなか難しいと思われるかも知れませんが、セミナー等で敷居を低くし、橋渡しのお世話が出来るように日々勉強をさせて頂いております。
私が片目が見えないで産まれた理由を考えると、やがて死を迎えます。その時に産まれてきたときよりも魂が磨かれている状態になるには、自分が置かれた場所で咲き誇り役目を終えていく、その為なんだと思います。
なので、それまでは「世話好きなオモロイおっさん」炸裂で、皆さんの世話を焼きまくります。
全てのご縁に感謝なのです。