どれだけ気づけるか。
よく気が利く人・気働きが出来る人、などといいますが、どれだけ「気づく力」があるかで、社会貢献度は変わってくるように思います。
写真は今朝の角掃きでの「見落とし」です。
気がつかなかった煙草の吸い殻一個。。。
悔しいです。
でもこういうことではないのだと思います。これは下等。
真の『気づく力』は「見えないモノ」にどれだけ気づけるかなのだと思います。見えているモノさえも気づかないのは「愚の骨頂」
見えにくいモノ、隠れているモノ、これからどうなっていくか、等々、そういう事に「気づける力」を付けなければならないのだと思います。
例えば、何かが飛んできて「とっさに避けて」難を逃れる。あれです。何が起こるかは「解っていない」けれども、とっさに体が動く。一々「あっ飛んできた」「どうしよう」「よし上半身で避けよう」なんて考えていないですよね。考えていたらぶつかってしまう。
それです。つまり何かが起こる前から「無意識に」予測している。「私とは別に」何かが判断して行動をしている、そういう「力」を私たちはもっているのです。こういうのを理解して鍛えていく。
素早くて「人として正しい判断」「私事を挟む余地がない」これを「アニマルスピリッツ」というのかもしれませんし、ひょっとしたら「利他脳」かもしれません。「智慧の蔵」かもしれません。「創造力の源」なのかもしれませんね。
言われてないから、聞いてないから、
知らない、出来ない、
もっと具合が悪いのは
「やらない」
これでは「もったいない!!」
それ以前に、見えているのに「気づかない」ようではダメだと言うことですね。猛省。