年間を通じて殆ど親らしいことはしていませんが、小さい時から「人は必ず死ぬ」と言う事は言ってきました。親である私達も、そして本人達も。
子供達は一昨年、昨年と祖父を亡くしました。同居してた家内の父が息を引き取る際には病院でその瞬間に立ち会いました。人が死ぬと言う事に対して実体験をしました。そして素直に受け止めてくれたようです。
では、戦争での「死」はどうか。
年末年始を通して休み無く仕事をさせて貰いましたが、昨日は撮影が入りませんでしたのでお休みさせて頂きました。子供は喜びました。USJへ行きたいと言いました。けど、私が「広島へ行こう」といったら、嫌な顔もせず二人の子供は快く賛同してくれました。
そして「平和記念公園」へ向かいました。
往路車中では色んな話を沢山しました。学校のことや興味のあること、将来のことなど。
そして広島では沢山のモノを見て沢山の事を感じました。
上の子は川面をみて、その様相からかお腹が痛くなりました。
下の子は「世界が一個になればよい」といいました。
肉体的にも精神的にも何かを感じてくれたようです。
資料館でも注意深く展示物を見て歩きました。思っていたより沢山の人が来館されていました。本当に大勢の人が居て資料館が機能していて、それは嬉しかったです。外国の方も沢山いらっしゃいました。どのように感じられたのでしょうか。
復路の車中では、戦争のこと、原爆のこと、死んだ人達のこと・・・・・色々沢山話をしました。正面から受け止めてくれていました。
実際戦争体験者はもう周りには居なくなりました。
自分と他人を分けるところから始まる諍い。最後は殺し合いにまで続く。
いつもと同じように始まる平和な日常の中では、自分というモノに囚われて周りと「分けて」考えることが多い。しかしそれでは上手くいかないことは分かりきっている。
これからも利他の心で本質を見失わないように生きていこうと思います。