目の前にある「見えやすいモノ」に、心を囚われてしまったら本質が見えなくなる。
例えば理不尽な事や、自分の考えとは違うことが起こった時に、心を高次化させ「利他の心」で受け取り直してみると、また違った受け取り方が出来ることがある。「見えにくいモノ」が見えた時に「感謝の心」で受け取り直す事が出来る。
そうなれば、目の前のことは自然の摂理に従って、自然な結果が出る。
善いことが起こると言う事。
目の前の出来事を「自分という軸」でしか見られなかったら、「理不尽」なことにしか見えないかもしれない。おそらく善いことは起こらないだろう。
「瞬間的」にそういう「利他の心」を発揮出来なければならない。と言うことは「常に」考え続けていることが必要となる。朝から晩まで晩から朝まで「人として正しい判断基準とはどういうことか」を自分に問い続けなければ、