高校の時クラブの大会で、全国進出から漏れた帰りのバスで意気消沈している私たち部員に対して、恩師は
「悔しいのはやり残したことがあるからやろう。やりきったら負けても清々しいはずだ!」的な檄を飛ばされた。
テレビで大阪の市長は
「負けても命を取られない良い国だ」と笑って話していた。
心の奥底から尊敬する経営者も
「感性的な悩みをしない事」と言い切る。
岡本太郎は教えてくれる。
「負けた者こそ、バンザーイと、大いに胸を張ってにっこりする。これだよ」と。
有り難い、有り難い。
そして岡本太郎は言う。「芸術ってのは判断を超えて、『なんだ、これは!』というものだけが本物なんだ。『ああ。いいですね』なんてのは『どうでもいいですね』ってことだよ」と。
更に日々忙殺される私たちに「コツを教えよう。あんまり一生懸命にならないこと。オレがやらなきゃと思わない。完璧に、オチ無くこなそう、としょっちゅう緊張していると、そのうち体力が弱ってくるから。とんでもないミスにつながりかねない。自分で、いまやれるだけのことをやればそれでいい、と『覚悟』を決めるんだよ」
「覚悟」
覚悟をもって「やりきれば」それでいい。
大事な事は言葉にするまえに創造する事、感じる事。
どんな出来事が起こっているか。
そう思う根拠は何か。他に新しい発見はないか。
高校の恩師は「あのときやってれば勝てたんだ」という後ろ向きな事ではなくて、一個人が自分と向き合って生きて行くときに手がかりになるように言葉を発してくださったのだと思う。
昨日スタッフと研修と称して名古屋まで車を走らせた。そこで自分の気持ちを安易に言葉にするのをためらった。しかし今朝掃除をしていて「潔い」という言葉がでた。
言葉を使わないと伝わらないわけでもないので、無理に言葉にする必要はないかもしれない。また言葉にすると誤解を生む可能性もある。なので「見聞きした言葉」に執着される必要もない。言葉はそこにあるだけ。それ以上でもそれ以下でもないような気がしてきた。
岡本太郎が
「進歩と調和なんて大嫌いだ」と言ったように
「実は私はブライダル写真なんて大嫌い」なのである。
でも、やっぱり、こう書いてしまうと、誤解する人は誤解するよね。
でも、解る人にはわかるよね。誤解しないでね、、、、(*^_^*)