GWに、かかわらず、殆ど子供を何処かへ連れて行ったりできていない。
昨日の帰宅時の一枚。
まあ、よう我慢しとるわ、

どうも、昨日「私」が食べたものを「私の体」はどうしても外へ出したいようだ。胃は痛み、吐き気、頭痛、耳鳴りも酷い。
日頃、手足、眼、鼻、耳、舌を「自分のもの」と錯覚し、活動をしているようだが、こうなると「自分とは別に体が有る」ということが良く解る。
こうして書いている間にも何回もトイレへ立たなくてならない。
自分の体なら自分の意志で止められるはずだ。
しかし体は言うことを聞いてはくれない。
自分とは一体何だろう。唯意識のみということになる。
今日は皆に任せておとなしくしておこう。

もう卒業までの登校日が2週間無いという。
親として子供の小学校・中学校生活に関わりなく仕事ばかりしてきました。
本人曰く「義務教育を終えるにあたって、人に与えて貰う側から、人に何かをしてあげられる側になりたい」という。果たして親である自分はそれが出来ているのかと、自問自答する今日この頃....
後は彼女の人生、自分の良心に従ってぶれずにやればいいと思います。
後一人居ますので、まだまだがんばりますけど、少しずつ子供でなくなっていくのですね。
かくの如く我れ聞けり=このように、私は伝え聞いている。

何事も「自分の心の中に映った影像」
この事を一番初めに書いてあるところが重要。
全ては自分の心の中で起こっていること。一人一宇宙。
仏や宇宙は等しく私たち一人ひとりの心の中にある。
写真展へ行ってきました。
好みとか、良い悪いではなく、
自分の良心で純粋に見ることが出来たように思います。

仕事で写真を撮影していますが、
もっと素直に、純粋に撮れたら良いなと思いました。

さて、自分の撮った写真と向き合うことにしましょう。
何か発見がありますように、
そして写真を撮り続けることが出来ますように.....
「超映像で倖に」
写真や映像の仕事をしているのですが、
小さい時から目が悪く片方の眼は見えていません。遺伝的なものらしく見えている片方もそのうちに....と小学生の時には言われていたのですが未だに見えています(^_^)v

そんなこともあって盲導犬協会の会員でもありますの(^_^)v
なので、小さい時から目に関しては「眼球」そのものに留まらず、「みえているもの」自体に興味が大変ありました。
その疑問の一つに「果たして他人と同じ物を見ているのか」という疑問は小さい時から有りました。
「色盲・色弱」と言われる人が居るということに気がついたからです。
同じ物を見ても色を認知できない人が居る。色弱に至っては小学生の時に目の検査でみせられた「まだらな点々で文字が書かれている絵」を用いないと発見できない、おそらく本人は気づいていないと言う事です。実は私自身小学校で眼の検査をするまで片目が見えていないことが普通で無い事が分かりませんでした。それが当たり前だったんでしょうね。
そこで、素朴な疑問を持ちました。「一つの物を見たとして、同じように認識していると言えないのでは無いか」。赤いものを見て「赤いよね」って人と確認し合えてとしても、「言葉」でしかありません。他人がどう見ているかはその人の視神経かなんかを自分の脳に繋がない限り分からないのでは? 小学校の時から????でした。
そしてその疑問は、眼だけに留まらず....
例えば「耳」クラッシックを楽しめる人も居れば、退屈な人も居る、
「鼻」臭いに敏感な人も居れば鈍感な人も居る等々など.....
「舌」同じ物を食べても美味しいと思う人、まずいと言う人.....
ずっと出口の無いこの事実に???が出ながら生きてきましたが、大人になって法相宗の唯識をしりました。そのなかに....
眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識 が書かれていました。
小さい頃からの疑問の答えがここにあるようにおもいます。
写真や映像で人々の生活を豊かにしたいという志を立てて会社を運営している今。こういう人間本来の本質から写真や映像が人にとってどういうもので有るべきか、そして「何故何の為に撮るのか」ということを命ある限り追求し続けたいと思います。

そしたら、

とられた(>_<)
そんでもって、大事な「母子の絆」

写真は全てスタッフのふなださんの撮影です(^_^)