写真や映像の仕事をしているのですが、
小さい時から目が悪く片方の眼は見えていません。遺伝的なものらしく見えている片方もそのうちに....と小学生の時には言われていたのですが未だに見えています(^_^)v

そんなこともあって盲導犬協会の会員でもありますの(^_^)v
なので、小さい時から目に関しては「眼球」そのものに留まらず、「みえているもの」自体に興味が大変ありました。
その疑問の一つに「果たして他人と同じ物を見ているのか」という疑問は小さい時から有りました。
「色盲・色弱」と言われる人が居るということに気がついたからです。
同じ物を見ても色を認知できない人が居る。色弱に至っては小学生の時に目の検査でみせられた「まだらな点々で文字が書かれている絵」を用いないと発見できない、おそらく本人は気づいていないと言う事です。実は私自身小学校で眼の検査をするまで片目が見えていないことが普通で無い事が分かりませんでした。それが当たり前だったんでしょうね。
そこで、素朴な疑問を持ちました。「一つの物を見たとして、同じように認識していると言えないのでは無いか」。赤いものを見て「赤いよね」って人と確認し合えてとしても、「言葉」でしかありません。他人がどう見ているかはその人の視神経かなんかを自分の脳に繋がない限り分からないのでは? 小学校の時から????でした。
そしてその疑問は、眼だけに留まらず....
例えば「耳」クラッシックを楽しめる人も居れば、退屈な人も居る、
「鼻」臭いに敏感な人も居れば鈍感な人も居る等々など.....
「舌」同じ物を食べても美味しいと思う人、まずいと言う人.....
ずっと出口の無いこの事実に???が出ながら生きてきましたが、大人になって法相宗の唯識をしりました。そのなかに....
眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識 が書かれていました。
小さい頃からの疑問の答えがここにあるようにおもいます。
写真や映像で人々の生活を豊かにしたいという志を立てて会社を運営している今。こういう人間本来の本質から写真や映像が人にとってどういうもので有るべきか、そして「何故何の為に撮るのか」ということを命ある限り追求し続けたいと思います。

そしたら、

とられた(>_<)
そんでもって、大事な「母子の絆」

写真は全てスタッフのふなださんの撮影です(^_^)
空海は別として「人は必ず死ぬ。誰一人今まで死ななかった人間は居ない」と小さい頃から子供達に言ってきたお陰か、受験生の上の子が最近「死にたくないな〜」とつぶやいた。
この所すすんで受験勉強頑張っているみたいだし、一寸は朝早く起きてくるようになったし、一寸「死生観」みえてるのかな?
「でもわからへんだけで、死んだらじ〜じや、ば〜ば達が楽しく暮らしていて、待ってるンかもね〜」っていったら、「それが分かっていたらええけど、誰も死んだ経験無いし・・・」
いつ死ぬのかは知らされていない。であるならば、朝起きて「生きていたら」その日一日「一生分生きること」が出来たらいいとおもう。一生分頑張ればいいと思うし、一生分泣いて笑えばいいと思う。
本当にそうできたら、例え明日死んでも「生ききった」事になる。
毎日当たり前のように平和に過ぎ去っていることに感謝を忘れないようにしなければならないね。
今日撮影でお伺いしたお店。
とってもお洒落なお店でしたが、見える部分だけでなく「見えない部分」も素敵でした。

レジの横に貼ってありました。
楽しかったんだろうな、
美味しかったんだろうな、
素敵なお店でした(^_^)v
というお題でお話しをする機会を再び依頼頂きました。
今一度「深耕」し考えをまとめたいと思いました。
ので、そのお話しが終わってからまとめてブログへ上げたいと思います。
もう少しお待ち下さいね〜☆(って誰も待ってないか)
FBにも書きましたが「ために」から「ともに」という言葉の違いから「思考」をかえていく事が出来ます。
「お客さまの為に」とよく言われますが、「お客さまと共に」というとちょっと違う感じがするでしょう。
例えば、接客や打ち合わせの際に「お客さまの為に」では、一応お客さまの事を考えているのですが、テーブルを挟んで相対して、「売り手」と「買い手」と対立構造を作ってしまいそうになりますが・・・・
「お客様と共に」となると、お客様の「横へ座って」(本当に座るかどうかは別として)売り手買い手を「越えた」信頼関係の中で、私達に出来る最善の方法を一緒になって考えてあげるという感じになりませんか。
仕事で無くても「お母さんの為に」から「お母さんと共に」とか、兄弟の為にから兄弟と共にとか、地域のためにから地域と共にとか、日本の為にから日本と共に等々、
皆さんも自分の人生の中でこの「共創」=共に創り出すという感覚を持ち続けられるようにしてみて下さい。きっと善い将来が拓けると思いますよ。
昨日の
情熱大陸の中で、NY在住の日本人現代美術作家と茶の湯の宗匠との対談のシーンで、「美術は捏造」という言葉があった。
勿論なんでも「捏造」すればよいと言うことでは無いと思いますが・・・・
『写真』は日本に到来した時に付いた日本特有の呼び方のようですが、正しく訳すと「光画」。
色々な絵の具で絵画を描くように、光を用いて絵を描く行為なので「美術・芸術」の仲間入りができるはずなのですが、「真を写す」とかの思想や「一般大衆化」するなかで、どうも「美術・芸術」としての「光画」という感覚がなくなってしまったのかもしれません。
先日の日本写真学会の懇親会で学会の会長さんが「写真を見たら人は何かを感じるのだから」とか「人は殆ど目からの情報で人とコミュニケーションをしている、だから言語を使わず画像技術でデバイスとやりとりできるはず」等色々とご示唆を頂いた。
『人は何かを見た時に何かを感じる』という厳然とした法則がそこにあると思いました。
なので、「捏造」といっても何か感じるわけですから「人として美しく感じるモノ」でなければならなくなります。そうすると、「人間」に対しての飽くなき研究が必要となってくる。
私達は短い人生の中で「私は私、他人は他人」と思って生きていますが、昨日今日出現したモノでは無く、凄い時間を掛けて今に至っているはずなので、そこに「人間」としての何か共有出来る「本質」のようなものがあるはず。
『人間として正しいとか美しいと感じる行為』の深い理解無くして「捏造」したところで、人間には受け入れられないと言う事になる。
自分が撮る写真も同じように「捏造」していると思います。けれども常に「動機善・私心無し」で望まないといけないと思っています。お客さまが私の写真を見た時に「いいね!」と思って貰うには「人が見た時に何を感じるか」ということを研究し続け、高め続けなければならないと番組を見ていて思いました。
ご縁あって、
日本写真学会の今年の初例会の席で講演をさせて頂きました。
会が始まる前にコーディネイトして頂いた総務幹事様の計らいで会長様と名刺交換させて頂きました。
「富士フイルムの凄い人」ということで少し緊張しましたが、優しそうな方でしたのでちょっと安心。
参加された方は、後の懇親会で名刺交換させて頂いた限りですが、写真作家の方々・大阪写真家協会の理事長・和歌山の教育委員会の方・写真専門学校の先生・九州から新聞社のカメラマンさん・大阪大学の工学博士・三菱製紙で開発されている方・近畿大学の教授・パナソニックでデジカメ開発している方々・お年は召しておられるが昔ミノルタでカメラ開発していた方とか・・・等々、
まずはじめに支部長さまのご挨拶が有り、続いて日本写真学会会長の高田俊二様から基調講演。
前半は昨年の日本写真学会の活動報告のような感じでした。昨年は写真家・細江英公さんの「 球体写真二元論」の講演もあったようです。懇親会では遅くまで議論が深まったとか。また現在社団法人のようですが、一般法人化されるようなお話もされていました。なんか国からの指導とか、国家プロジェクトとか話のスケールが大きすぎて中小零細企業の経営者としては、穴があったら入りたい・・・感じでした・笑
会長さまの講演の後半は日本写真学会がこれからどこを目指すかというようなお話でした。
「写真で培った基盤技術の深耕と新たな領域への展開」写真の黎明期から現在のデジタルまでの写真で培ってきた技術を、今一度深掘りして新しい物を産み出そうぜ! ということかな。
ということで、写真の発明からコダックやポラロイドのお話や、日本の写真業界の動向(古いところからですよ〜)をお話しになりました。そのなかで改めて気づいたことは、写真そのものはフランス発・アメリカで大衆化されたのですが、今ある写真・カメラの基盤技術は全部ではないとしても殆ど日本人が創りだしたということです。凄い!日本人!今こそ日本国を蘇らさなければなりませんね!!!
コダックの創業時の理念
◎人々が日常的に写真を撮影できる一大事業に乗り出していくのだ
(コダック社内向け)
◎カメラを鉛筆のような重宝なものにする仕事
◎あなたはシャッターを押すだけ、後は私たちにお任せください
(奇しくもこの日は米コダック社の経営が破綻しそうだと報道された次の日でした)
などを紹介され、写真が大衆化していった経緯などを年表を用いて今までのメーカの技術の発展などと共に示されました。
当たり前の話ですが写真工業史と営業写真館の歴史もリンクするところが多いな〜と聞き入っておりました。
さてお話の終盤に「ユビキタスからアンビエントへ」というお話をされました。
「ユビキタス」については何となく理解ができます。
前に居た会社で従業員さんに向けて「これからはユビキタス情報社会になる」なんて話を熱っぽくしたことがありますが殆ど理解してもらえなかったと思います・笑。しかし今やiPhoneに代表される機器でネットワークに常時繋がり色んな恩恵に授かれているので「言葉」がわからなくても、社会で機能さえすれば自然と皆受け入れているのだと思います。
そしてそのユビキタスから「アンビエント」へということでした。頭には「?の8条」状態・笑
あと個人的には「デジタルアーカイブ」の分科会があるということが気になりました。デジタルのデータ残す技術ですね。私たちも日々「データを最終的にどうしようか」と頭を悩ますところです。
かなり端折っていますが、このような感じでした。殆ど専門用語で聞き解くのに苦労しました。
そうそう、話はそれますが「写真」と一言で言いますが、かなり広いのですね。コンピュータのICの配線なんかも写真技術で可能になってますし、「写真の基盤技術の深耕」の先には富士フイルムの化粧品なんかもあるんでしょうね、流体・粉体工学なんかが・・・
質疑応答では「アンビエント」をもう少し詳しくという質問が出ました。お答えは「画像映像技術およびコミュニケーションのためのヒューマンインターフェイス(学会のHPより)」ということでしょうね。今の様に機器に依存しないということでしょうか。夢のような世界ですが、時とともに社会で機能すれば自然と受け入れているのでしょうね。
あと、質疑応答でデジタル写真では赤外線での撮影はどうしているのかという質問が飛びこれは結構白熱しました。「赤外カットフィルターを外せても、各画素の受光素子?についているRGBのフィルターは外せないではないか!!!!」正直自分もこの調子で突っ込まれたらタジタジやな〜なんて思いました。汗
星とか天体系の方は赤外線のカットフィルターとかローパスフィルターとかカメラバラバラにして自分で外されるんですね。凄い〜☆
シリコンは赤外での感度が高いからカットフィルターなんてのが必要なんですね。その話のときに「受光素子がCCDのユニットの下の方にあって、正確に光を当てるには『井戸の底に光を当てるような物』」と表現され、レンズの設計でCCDにまっすぐに光線が当たるようにしなければならないと言われていました。
フィルム時代のレンズでは綺麗に撮れないのは当たり前の話ですね。
さて、質疑応答で時間が押し気味になってきましたので総務幹事の方がしめられて、私の番になりました。
私の話した内容は次回にします。長文におつきあい頂きありがとうございました。

お楽しみに!!!

今日は1000人を越える会場でのビデオ撮影でした。
いや〜京都から呼んで頂けるなんて、幸せな話です。
理念の見える化、映像の本質的なお仕事です。
有り難いです。感謝、